燃えたのは、薪ではなく石だった。
今から五百年以上前。現在の大牟田市大浦町付近にあった稲荷村で、一人の農夫が不思議な「燃える石」を見つけたと伝えられています。
その小さな発見は、やがて三池炭鉱へつながり、大牟田という町の姿を大きく変えていきました。
「大牟田むかしばなし。」第2話は、三池の石炭発見伝説です。
ここからは、地域に残る伝承をもとにした読み物です。伝治左衛門による石炭発見は伝説として紹介されているもので、会話・心情・場面描写は物語として再構成しています。

むかし、伝治左衛門という農夫がいた
文明元年、西暦1469年。
三池郡稲荷村。現在の大牟田市大浦町付近に、伝治左衛門という農夫が暮らしていました。
ある日、伝治左衛門は妻と一緒に、山へ薪を拾いに出かけました。
二人は山の中を歩き回り、ひと休みするために火をおこしました。
ぱち、ぱち、ぱち。
乾いた枝が赤く燃え、冷えた手を温めてくれます。

消したはずの火から、煙が上がっていた
やがて休憩を終えた二人は、焚き火を消して山を下りました。
ところが、しばらく歩いたところで、伝治左衛門は妙なことに気づきます。
「さっきの火、まだ燃えとらんか?」
振り返ると、山のほうから煙が上がっていました。
火を消し忘れたのかもしれない。二人は慌てて引き返しました。

燃えていたのは、黒い石だった
そこで二人が見たものは、燃え残った薪ではありませんでした。
焚き火の下にあった黒い石が、赤く熱を帯びながら燃えていたのです。
「石が、燃えよる……」
伝承によれば、これが三池における石炭発見の始まりとされています。

一つの黒い石が、炭鉱の町へつながった
当時の人々が、その石をどのように持ち帰り、どう使い始めたのか。細かな経緯までを伝える確かな記録は残っていません。
ただ、燃える便利な石として周辺の人々が掘り出し、薪の代わりに煮炊きなどへ使ったのではないかと考えられています。
それから長い年月を経て、三池では組織的な採炭が始まりました。
炭鉱で働く人が集まり、鉄道が延び、港が築かれ、工場の煙突が立ち並ぶ。石炭は、大牟田の産業と暮らしを支える大きな力になりました。

大牟田の歴史は、小さな偶然から動き始めた
もし、あの日。伝治左衛門が別の場所で休んでいたら。
煙に気づかず、そのまま山を下りていたら。
燃えている石を、不思議に思わず通り過ぎていたら。
大牟田は、今とは違う町になっていたかもしれません。
町の歴史を変えるものは、最初から大きな姿で現れるとは限りません。
誰かが足を止める。不思議に思う。拾い上げる。そして、もう一度確かめてみる。
大牟田を動かした最初の火は、そんな小さな好奇心から灯ったのかもしれません。
三池炭鉱が閉山した今も、その火が生んだ記憶は、大牟田の景色と人々の暮らしの中に残っています。
まだ知らない大牟田を、一緒に
「大牟田むかしばなし。」では、この土地に残る伝承や歴史を、これからも読み物として紹介していきます。

Instagram「ぎゃんよか大牟田」@gyanyoka_omuta
出典と、この昔話の読み方
大牟田市石炭産業科学館は、1469年(文明元年)に伝治左衛門が現在の大浦町付近で石炭を発見したと紹介しています。また、三井広報委員会の「三井三池炭鉱史話」では、伝治左衛門夫婦が山で焚き火をした際、その下の石が燃えていたという伝承が紹介されています。
史実との境界
石炭発見の年、人物、場所、焚き火の下の石が燃えたという骨格は、下記資料で「伝承」「伝説」として確認しました。火を消して山を下る場面、煙に気づいて戻る展開、会話や心情は、本記事で物語として再構成したものです。
掲載画像は「大牟田むかしばなし。」のために制作したイメージイラストです。実在の人物や当時の風景を記録・再現したものではありません。
情報確認日:2026年9月21日。
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