大牟田に、

全長およそ3キロにもなる、とんでもなく大きな木があった。

そう聞いたら、

「いやいや、さすがに盛りすぎやろ」

と思うかもしれません。

ところがこの話。

そのへんで最近つくられた昔話ではありません。

なんと――

『日本書紀』に出てきます。

大牟田の歴史をずーっと遡っていくと、

まだ「大牟田」という名前すらなかった、はるか昔。

この土地には、

一本の巨大な木をめぐる、不思議な物語が残されています。

阿蘇まで影を落とした、一本の木。大牟田むかしばなし第4話のカルーセル表紙
「御木の国」の物語を描いたイメージイラストです。

むかし、この土地に天皇がやってきた

むかしむかし。

景行天皇という天皇が、九州を巡っていたころのお話です。

天皇の一行は、

筑紫後国――現在の筑後地方へと入り、

「御木(みけ)」と呼ばれる場所にやってきました。

そして、高田行宮という仮の宮に滞在したとされています。

そこで一行は、

とんでもないものを目にします。

それは、

地面に横たわった、

一本の巨大な木。

地面に横たわった巨大な木を見つめる景行天皇の一行を描いたイラスト
地面に横たわる巨木と、天皇の一行。伝承をもとにしたイメージです。

すでに倒れていたにもかかわらず、

あまりにも長い。

人々は、その木の上を歩いて行き来していたといいます。

『日本書紀』に記されたその長さは――

九百七十丈。

大牟田市の古い資料では、現代の長さにして約2,939メートルと紹介されています。

約3キロ。

木というより、

もう山です。

九百七十丈の倒木の上を人々が歩く様子を描いたイラスト
人々の通り道にもなったという、九百七十丈の木。

「この木は、なんという木なのか」

あまりの大きさに、

天皇は近くにいた老人へ尋ねました。

「これは、何という木なのだ」

老人は答えます。

「これは――

歴木(くぬぎ)でございます。」

現在も大牟田には、

「歴木」と書いて「くぬぎ」と読む地名があります。

しかし老人の話は、

ここからさらに壮大になります。


朝は佐賀の山を隠し、夕方には阿蘇を覆った

老人は、

この木がまだ立っていたころの話を始めました。

朝。

東から太陽が昇ると、

巨大な木の影は、

遠く杵島山を隠した。

そして夕方。

西から光が差すと、

今度はその影が――

阿蘇山を覆った。

『日本書紀』には、そのような伝承が記されています。

大牟田から阿蘇まで。

もちろん、

現実の樹木として考えれば、とてもありえない大きさです。

だからこそこれは、

植物の記録というより、

この土地の大きさや神聖さを表現した「神話の木」と考えたほうが自然なのかもしれません。

朝は杵島山、夕方は阿蘇山を覆ったという巨木の影の伝承を描いたイラスト
朝は杵島山、夕方には阿蘇山へ。神話ならではの大きさで語られた木の影。

天皇は、その木を見て言った

老人の話を聞いた景行天皇は、

この木をただの大木とは考えませんでした。

「これは、神しき木である」

そして、

この土地に名前を与えます。

「この国を、御木国と呼ぼう」

一本の巨大な木。

その木から、

国の名前が生まれた。

これが『日本書紀』に残された、

「御木」という土地の名の由来です。


「御木」は、やがて「三毛」へ

ここがおもしろいところです。

古い文献には、

この地域を表す名前として

御木(みけ)

そして後に、

三毛(みけ)

という表記が現れます。

『筑後国風土記』の逸文を踏まえ、「御木」が転じて「三毛」になったとする説があります。さらに時代が下ると「三池」という表記も使われるようになりました。

つまり、

大牟田の歴史をたどっていくと、

一本の巨大な木の伝説が、

この土地の名前そのものにつながっていくのです。

御木から三毛、三池へという地名の由来を紹介するイラスト
「御木」「三毛」「三池」。地名の由来には複数の説や伝承があります。

ただし、「三池」の由来には別の物語もある

ここで、

第1話を読んだ人なら、

「あれ?」

と思ったかもしれません。

そうです。

第1話「ツガニの恩返し」では、

大蛇が暴れた跡に三つの池ができ、

そこから「三池」と呼ばれるようになった――

という伝承を紹介しました。

一方、今回の話には、

「御木」という別の地名由来があります。

どちらか一方を、

「これが絶対に正しい」と決める必要はありません。

昔の土地には、

同じ地名について複数の由来が語り継がれることがあります。

むしろ、

いくつもの物語が重なっていること自体が、その土地の歴史のおもしろさなのだと思います。


そして今も、大牟田には「歴木」がある

巨大なクヌギそのものは、

もちろん残っていません。

けれど、

大牟田市には今も

「歴木(くぬぎ)」

という地名があります。

そして歴木の高田公園には、

「高田行宮址」と刻まれた碑が建っています。

ただし、ここが『日本書紀』に記された高田行宮の正確な所在地だったかについては確定しておらず、別の所在地を考える説もあります。

だから、

この石碑の前に立ったからといって、

「ここに3キロの木が立っていた」

と考える必要はありません。

でも、

千年以上前から語られてきた物語と、

いま自分が立っている大牟田という土地がつながる。

そう考えると、

いつも見ている町が、

ほんの少し違って見えてきます。

今も残る歴木の地名と、町を歩く親子を描いたイラスト
昔話の記憶を、今に伝える「歴木」の名。

一本の木が、町の記憶になった

炭鉱ができる、

ずっと前。

三池港ができる、

ずっと前。

大蛇山が現在の形になる、

さらに前。

この土地には、

「朝には遠くの山を隠し、

夕方には阿蘇まで影を落とした」

と語られるほどの、

巨大な一本の木がありました。

本当にそんな木があったのか。

それは、誰にもわかりません。

でも、

千年以上の時を越えて、

一本の木の話が残っている。

そして今も、

その名前が「歴木」という地名の中に生きている。

それだけでも、

十分に不思議な話だと思いませんか。

昔話というのは、

「本当にあったかどうか」だけではなく、

その土地の人が、何を大切にして語り残してきたのか。

そこまで想像すると、

もっとおもしろくなるのかもしれません。

次に「歴木」という地名を見かけたら、

ちょっとだけ思い出してみてください。

かつてこの土地には、

阿蘇まで影を落としたという、

一本の神様の木があったことを。


大牟田むかしばなし。

大牟田には、

まだまだ知られていない物語があります。

教科書にはほとんど載らない。

だけど、

誰かが語らなくなれば、

そのまま消えてしまうかもしれない。

そんな大牟田の昔話や伝説を、

現代の言葉でもう一度。

「おおむた、これから。」では、

これからも少しずつ集めていきます。

あなたが知っている“大牟田の昔話”も、ぜひ教えてください。

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参考資料

おおむた、これから。編集部

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